MENU

朝鮮総連とRENK それぞれの主張

1994年4月25日に朝鮮総連大阪府本部へ警察からの家宅捜索が行われた。それは、「RENK(救え! 北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)」の集会を暴力的に妨害したためだ。

先日配信した第一節の記事をご覧になっていない方は、こちらを一読願いたい。
「1994年4月25日の忌まわしき思い出 朝鮮総連大阪本部家宅捜索」https://onl.bz/EXSCFiy

今振り返れば、RENK側の主張にも一理あったと感じる、では、両団体にはどのような思いがあったのか、筆者の記憶を振り返ってみたいと思う。

RENK側の主張は要約して表せば、「朝鮮は、人民が言論の自由も制限された徹底した統制社会であり、常に監視、密告され、反発者は強制収容所に収監される非人道的統治制度であった。自由社会とは言い難い環境にあり、過去の軍事政権下の韓国社会よりも更に過激な社会構造であったそんな朝鮮を批判する」内容であった。

勿論、RENK側の主張が事実だ。しかし、北朝鮮の日本側出張所である朝鮮総連からすれば、「朝鮮に対しての反体制的な主張をするRENKの活動を敵対勢力とみなす」こととなり、妨害工作を展開するに至った。

RENKの集会に対する妨害は当然、「総連中央本部からの指示」である。事件当時、総連中央に勤務していた友人に話を聞いたことがある。それによると、「RENK妨害事件後の夜勤宿直勤務時に、中央本部の後輩職員が『あの妨害事件は中央本部から大阪府本部に指示を下しましたよ』と話していた」などと述べていた。

しかし、中央本部側はそんな指示はしていないと一貫して主張していた。総連は朝鮮のミニチュアであり、大韓航空機事件など朝鮮が主導して相次いだテロ事件でも朝鮮は犯行を認めておらず、両組織は似た対応をするものである。

1994年当時はまだ、朝鮮労働党現役高官亡命事件等も無かった頃で、RENKの集会はある意味で朝鮮及び朝鮮総連への世論の認識に一石を投じた事かも知れない。

筆者は、「RENKの当時の活動は在日社会の周辺状況・情勢把握を怠り、総連の妨害を受ける結果となり、時期尚早に至った」と感じて止まない。

李英和氏は2020年に他界した。「RENK」のその後の活動は、在日社会へ衝撃を与え、朝鮮への世論の認識を変えていくものとなるほか、朝鮮に帰還した在日帰国者達のその後の人生の在り方にも一石を投じたものであり、李英和氏の御冥福を祈りたい。

その後、朝鮮労働党書記までもが側近と共に亡命を図り、後の脱北事案に歯止めが掛からなくなって行くのは事実となる話だが。


次回、「RENK集会妨害指示」を出した朝鮮総連のその後を紹介する。

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

CAPTCHA